浅田次郎先生に学ぶこと
浅田次郎先生といえば、『鉄道員』(ぽっぽや)などの名作を排出されている直木賞作家であられる。
先日、某航空会社の機内誌に連載されている浅田先生のコラムを読んでいて、このワタクシは目から鱗が落ちた。
やはり、これだけの素晴らしい作家の方でも人の子であるということを痛感したのである。
先生曰く、自分は車のマナーがひどく悪いとのこと。それには言い訳があって、その昔日本の交通マナーはひどく悪く、その時代に免許を取った人は誰でもマナーが悪い、、、とのこと。
ずいぶん前から、例えば、車線を譲ってもらったときは、お礼の印にハザードランプを付けるのが常識的になっている。浅田先生はこの現象にひどく憤慨されている。車線なんてものは(その昔は)取り合いであり、譲る・譲らないの問題ではないと言っておられるのである。割り込みや出し抜きは当然と言わんばかりにお書きになっている。ハザードのみならずウインカーすら出す必要はないくらいの内容であった。
そうか名作家でもそういうお考えなのか!
このワタクシは、今までに我流ではあるが、車線変更は取り合いである、と考えていた。だから、とにかく車の頭を横の車線に突っ込むのである。その車線を走行している車は、ぶつかるのを避けるために当然スピードが落ちる。ワザワザぶつけようなんて人は、特殊な職業の方々以外にはいない。もっとも、このワタクシの場合は、一応ウインカーを点滅させてから行為に移るが。さらに、人の足もとを見るかのように、ウインカーを出しておいて、頭を突っ込んだ瞬間にハザードを点滅させている。つまり、相手の車に、ウインカーを出してはいるものの、いきなり頭を突っ込んだ車が早々にハザードを点滅させて詫びていると思わせるのである。
浅田先生の名文を読んで、このワタクシの考えはいかに浅はかであったかがよく判った。つまり、このワタクシは、単にビビッて先に詫びている(ふりをしている)だけである。さすがは、大物作家さんともなると威風堂々としていて、車線を横取りされているわけである。このワタクシも、是非とも先生のやり方を少しでも真似させてもらいたいと思うのである。
それにしても、車線の横取りと『鉄道員』(ぽっぽや)、、、どうも同じ人の生み出す世界とは思えない。。。
(引用)-全文書き写しさせていただきました-
私が運転免許を取得した30数年前は、今よりも遙かに車が少なかったにもかかわらず、交通渋滞はずっとひどいものであったと思う。つまり世間ではあまり評価されないけれども、その間のお上の努力は並々ではなかったはずである。
そうした大渋滞の時代にハンドルを握った私は、「三つ子の魂百まで」の類で、いまだに運転マナーが悪い。
まず、運転席に座る格好が左半身(はんみ)の喧嘩腰である。進行方向よりもサイドミラーを注視する癖が抜け切らないので、自然と斜(しゃ)に構えてしまう。
隣の車にぎりぎりまで幅寄せをして怯(ひる)ませ、そのわずかな間隙をついてすばやく車線変更し、水すましのごとくスイスイと渋滞を縫って走るのが、その時代の常識であった。
むろん今はそんな走り方はしない。しないけれどスタイルは変えられないのである。
思えばあのころは、無理な割り込みをされたドライバーはただちに窓を開け、要すればグイと身を乗り出して「バカヤロー!」と叫ぶことになっていた。
割り込んだほうが言い返せば喧嘩となり、さらなる渋滞を引き起こすので、こちらはシカトすることになっていた。
私は「バカヤロー!」と怒鳴ったためしがなかった。割り込むテクニックには自信があったが、割り込ませぬ自信もあったから、常に「シカト」である。
こうした交通ルールの中で、小説がなかなか売れずに長らく営業活動に従事していた私には、近ごろのドライバーたちのお行儀良さが苛立たしくてならない。
たとえば、ハザードランプを点滅させて「ありがとう」の意思表示をするマナーである。こっちが譲ってやったときは、「どういたしまして」と眩きたくなるのだろうが、あいにくいまだに謙譲の美徳を持たぬ私の前に入る車は、よっぽど強引な割り込みなので、そういうやつに「ありがとう」と言われれば腹も立つ。
「ありがとう」や「ごめんなさい」は世界共通のマナーだが、それさえ言えば何をやっても許されるわけではあるまい。
この苛立ちに較べれば、「バカヤロー !」の応酬のほうがずっと健全な社会のように思えるのである。ふしぎなことに、30数年間ほとんど毎日ハンドルを握っているにもかかわらず、このハザードランプ点滅のマナーがいつから始まったのか記憶にない。
いつの間にかみんながやっていたのである。口は悪いがはらわたのない江戸ッ子の私は、そもそも嫌味を言ったり碗曲な表現をすることがないので、割り込みを許した相手に「ありがとう」などとは言えぬ。従って、みなさんが行っているハザードランプの点滅は、いまだかつてやったためしがない。
そのかわり私は、同乗者の乗り降りに際しては必ず自からドアの開閉をする。これはマナーというより、安全管理のためである。愛車のドアをぶつけられてはたまらん、という意味もある。
ことに、洗車のときには綿棒で仕上げているドアノブの周辺に、指輪の傷がつくのはたまらん。まあ理由はともかく、慇懃無礼なハザードランプよりよほど大切なマナーだと思うのだが、同乗者のためにドアの開閉をするドライバーはあんがい見かけない。
スカレーターの片側に立つという都市生活の習慣も、いつの間にか定着した。関東と関西では立つ位置が逆、というのを知っているだろうか。
東京では急がぬ人は左側に立ち、せっかちが右側を歩いて昇ることになっているが、なぜか大阪ではこの左右が逆なのである。
俗説によると、1970年の大阪万博のときに、外国人観光客を見習ったという。だから発祥の地は大阪なのだが、何につけても大阪発の文化を軽侮する東京人が、わざわざ立ち位置を反対に変えた。
なるほど、なかなか説得力のある説ではあるが、高度成長まっただなかの1970年当時に、この作法が始まったとは考えづらい。私自身もせいぜい10年ばかり前のニューヨークで、ハハアなるほどと感心した覚えがあるから、少なくともそれ以降の慣習であろうかと思う。
しかし、たしかに合理的ではあるけれども、よく考えてみればエスカレーターのステップを歩いて昇る必要はあるまい。あえてマナーというのなら、昔のように誰も歩かずに乗るほうが正しい。
ちなみに私は、右だろうが左だろうが、エスカレーターだろうが高速道路だろうが、常に追越車線である。まこといじましい。
このごろの作法のハイラこイトといえば、握手の習慣であろうか。明治維新以来、日本人が最も「苦手」としたこの挨拶が、ようやく定着しつつあるのは喜ばしい限りである。
かつて直木賞をいただいたとき、ホテルの廊下でたまたますれちがった生島治郎先生が、黙って手を差し出して下さった。あの掌(てのひら)の感触は忘れがたい。心からの祝福とともに、力を分けていただいたような気がした。
たぶんそのときが初対面であったと思うが、ああいうスマートでダンディーな握手は、一生かかっても真似はできまい。その後はいくどとなくお会いしたが、いつも言葉より先に、にっこりと笑って手を差し出して下さった。生島さんは握手の達人だった。
外国から移入された習慣の中で、握手だけが長らく一般化されなかったのはなぜであろう。思うにひとつは、衛生上の配慮からではあるまいか。
高温多湿の日本は黴菌の巣窟であるから、握手に限らず肌と肌が触れ合うことを忌避する伝統があった。むろん、べっとりと湿った感触に対する生理的な嫌悪もあったであろう。
もうひとつは、立場のいかんにかかわらず他者を敬するという、儒教的な考えもあろうかと思う。つまり、「お辞儀」という伝統的な作法が、あまりにも「握手」と精神を異にするからである。
日本人の握手がどことなくぎこちないのは、手を握るにしても腰が引けていることと、握手をしながらつい頭を下げてしまうせいで、こればかりは私も運転姿勢と同様、そうとわかっていても治らない。
相手との距離感が捉(つか)めないから手を伸ばしながらも腰を引いており、他人には頭を下げねばならぬと、体が信じこんでいるのである。
まあ、そうしたぎこちない動作も、長く深い伝統の結果であると思えば、日本人的な握手の作法と心得て、あえて正す必要もないのではないかと、このごろは考えるようになった。
要は肌の感触を通して、心が伝わればいいのである。それにしても生島さんは握手の名人だったと、いまだにその手ざわりを思い出しては胸が熱くなる。
浅田次郎「このごろの作法」
つばさよつばさ 第40回
SKYWARD(JAL機内誌) 5月号
(引用終)
コメント (3)
いや、十分真似られてますよ。
投稿者: 84 | 2006年06月02日 18:24
日時: 2006年06月02日 18:24
都内は妙に車間をあけたり、右折左折をタラタラしている車が多すぎる。
タクシーに乗ったのにバスを追い越そうともしないときは何のためのタクシーか分からない。
しかし自らの車を駆っているときは、ワタタクシーには特別厳しい対応をするワタクシである。
投稿者: 匿名 | 2006年06月06日 11:45
日時: 2006年06月06日 11:45
このワタクシのように優しい人は、浅田先生の足元にも及ばないかもしれません。。。
投稿者: Aonori | 2006年06月08日 01:54
日時: 2006年06月08日 01:54