妙な親近感をよぶ紙幣たち
相変わらず、毎日二千円札の両替を欠かさず行っている。
その日、帰る前に、数ヶ月行っていなかった通帳記入をCDで行った。
ふと、折角だから財布に入っているお金を入金しておこう、と思い、財布から1000円札3枚と小銭(合計632円)を機械に投入した。20枚の2000円札は、2000円札に対応していないこの銀行のCDでは投入できないのでそのままである。
我が家の近くの数行の銀行で2000円札を使えるCDがあるのは一行だけである。それも5台のうち1台だけである。
まだまだ使えない、2000円札。「2000円札普及委員会」会長のこのワタクシの努力もまだまだ足りないようである。
その夜遅くなって、未読の新聞が大量にあることに気付いた(というよりも前から気付いていたが、だんだんと読むのが面倒になっていた。。。)このワタクシは、リュック型のバッグにすべてを入れて、近所のジョナサン(ファミリー・レストラン)に向かった。
都心のファミリーレストランの特有なのか、周りに大学の多い我が街の特有なのか、店にいるのはケダルイ顔をした学生ばかりである。学生は、一様に、教科書か参考書のようなものを持ち込んで、ほとんど長椅子からずり落ちそうな姿勢でそれらを読んでいる。
数時間後のこのワタクシもケダルク、今にも椅子からずり落ちそうに、残りの新聞を読んでいた。結局、2週間分の朝刊と夕刊をためていた。
外は明るくなってきている。おっと、もうすぐ4時である。
最後の数部を読み終えて家路につくべくレジに向かった。他の客と同様に、このワタクシは明らかに迷惑な客である。僅かな料金で数時間も粘ったのだから。。。とはいえ、その間入ってきた客もほとんどいなかったので、店にとってはどうでもよかったのであろう、と勝手に良いように解釈することにした。
「生レモンサワー」+「コーンクリームスープ」+「ハンバーグ&えびフライ」+「ライスドリンクセット」。
レジは1900円で一度止まった。「よしっ、2000円札一枚」と思った瞬間に今度は190円が表示され、さらに104円が表示された。そして、2194円を表示すると動かなくなった。(あとでレシートを見たら、190円は深夜料金で、104円は消費税であった)
寝ぼけた脳みそは半日前のことをすっかり忘れていたが、事実は明らかであった。
財布の札入れの方は2000円札ばかりである。小銭入れの方は1円玉1枚とて入っていない。。。
2000円札2枚を店員に渡した。
怪訝な顔をしている。
それはそうだろう。端数の小銭は出しても、2000円札を1枚出されることすらほとんどない21世紀初頭の日本で、小銭も出さず、2000円札2枚だけ出す客というのは多分このワタクシだけではないかと自分でも思ってしまった。。。
お釣り、1806円。札を2枚出し札を1枚(と小銭を)返す、という極めて非日常的なやり取りを朝の4時に行った店員とこのワタクシは妙な違和感のなかで、なんとなく親近感を感じたのであった。
家までの数分間、相変わらず冴えない頭でいろいろとシュミレーションしてみたが、今までの日本では、札を1枚出して複数枚返してもらうことはあっても、2枚出して1枚返してもらうことはかなり起こりにくいことであったと再認識した。つまり、9千円か少し9千円に足りないものを買うために5千円札2枚を出したときくらいでしか、このようなことは起こらないのである。そして、そういうときは大抵1万円を出すものである。