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「子猫殺し」でポリネシア政府が告発へ

 またまた「子猫殺し」の続編だ。

 一連の「子猫殺し」及び「子犬殺し」をぼやいてきたのだが(参照:「「子猫殺し」 ネット上で騒然」、「「子猫殺し」リアルでも騒然」、「「子猫殺し」に続いて「子犬殺し」」)、今回はこのニュースを昼間に読んでからぼやく気が起こらない。
 ぼやく気が起こらない理由は色々とあるのだが、一つはネット上の意見が9割方「子猫殺しを一方的に非難していること」であったり、他には「ポリネシア政府が本当に動いたこと」に対する感慨であったり(このワタクシ、タヒチ当局にこの件を電話で伝えていた)、などである。
 
 前にぼやいたときにも書いたが、個人的には(感情的には、許せないものの)「子猫殺し」が悪いことなのかどうかは判らない。
 少なくとも、このワタクシ、猫は食っていないが、牛も豚も毎日のように食っている以上、殺すだけで食っていないことを非難する立場にはない。ハエも蚊もよく殺している。

 よって、相変わらず、「子猫殺し」という事実ではなく、この坂東眞砂子という直木賞作家の文章そのものをぼやくことになってしまう。
 この人、既に自分の作文が非難の嵐を受けていることを知っているにも関わらず、相変わらずくだらない文章を書いている。
 毎日新聞も、立場上かもしれないが(毎日新聞は、この作家が「真意を語りたいと毎日新聞に寄稿した」と書いているが、依頼して書かせたのであろう)、「坂東さんは「子猫殺し」を発表することで、愛猫に抱く葛藤(かっとう)を伝えるとともに、過剰なペット依存社会に一石を投じ、動物の生と死について再考を促そうとした。しかし現状では、多角的で本質に迫る議論には発展していない。」と書いているものの、この寄稿分で「過剰なペット依存社会に一石を投じ、動物の生と死について再考を促」せたとは思えないし、「多角的で本質に迫る議論には発展」するわけもない。
 避妊手術が嫌ならオスを飼えば良いだけだろうし、ナチスもハンセン病もまったく関係ない。 

 「子猫殺し」が本当に悪いことかどうかはよく判らないが、少なくともこの人の文章に直木賞の価値は見られない。。。


(引用)
<子猫殺し告白>坂東さんを告発の動き…タヒチの管轄政府
(毎日新聞 - 09月22日 15:21)
 直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)=フランス領タヒチ在住=が、日本経済新聞に寄稿したエッセーで告白した「子猫殺し」。その内容をめぐって余波が続いている。タヒチを管轄するポリネシア政府は、坂東さんの行為を動物虐待にあたると、裁判所に告発する構えを見せている。20日から26日は、動物愛護週間。坂東さんが、真意を語りたいと毎日新聞に寄稿した。 

 ◇坂東眞砂子さん寄稿…子猫を殺す時、自分も殺している
 私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。
 さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。
 しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。
 「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。
 しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
 もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。
 他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
 エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。

 ◇解説…動物の生と死、多角的議論を
 坂東さんは「子猫殺し」を発表することで、愛猫に抱く葛藤(かっとう)を伝えるとともに、過剰なペット依存社会に一石を投じ、動物の生と死について再考を促そうとした。しかし現状では、多角的で本質に迫る議論には発展していない。
 「雌猫3匹が産む猫を、がけから放り投げている」。この強い表現は、猫への愛情と罪悪感が希薄な印象で、読む側の不快感につながった。言葉を扱うプロだからこそ、意図を正確に届ける工夫がもっとほしかった。
 また、猫への避妊手術は、坂東さんの挙げる野良猫対策とは異なる側面もある。野良猫の7割以上がウイルスを持っているといわれる猫エイズの予防だ。治療法は確立されていないが、体液の接触感染が主な原因で、不妊・去勢手術を施してけんかや交尾の機会を減らせば防ぎやすくなる。
 現代社会の猫や犬は、単なるペットではなく、人生の伴りょとして扱われる。坂東さんに賛同する人は少ないだろう。ただ、私たちが「動物にとっての本当の幸せ」を知るすべはない。動物の飼育を「自分勝手な傲慢(ごうまん)」と考えている人はどれだけいるだろうか、人間に向かうべき愛情が動物に偏って注がれていないか……。坂東さん、そして社会が抱える病理を多数派の意見で押し込めてはならない。

 ◇子猫殺し 坂東さんが日経新聞8月18日夕刊でエッセー「子猫殺し」を掲載。飼っている雌猫に避妊手術をせず、子猫が生まれるとがけ下に投げていることを明らかにした。日経にはメールと電話で延べ1497件(今月19日現在)の意見が寄せられた。「残酷で不快」「動物愛護の精神に反する」「生命を軽視している」「避妊手術と、子猫を殺すことを同列に論じるのはおかしい」など、大多数が批判。少数だが「納得できた」「これからも生と死について書き続けて」との賛意もあった。
(引用終)





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