「子猫殺し」 ネット上で騒然
直木賞作家・坂東眞砂子さんの「子猫殺し」というエッセイが、ネット上を騒然とさせているらしい。
詳細は以下の記事を読んでいただくとして、このワタクシとしては、このエッセイに書いてある「子猫殺し」が正しいのか、間違っているのかは判らないのであえてコメントはしない。要するに、現地の様子が判らないのでなんとも言えないのである。少なくとも、このワタクシは、どこかで殺された豚も牛も毎日のように食っている。それが認められている国に住んでいるからである。サウジアラビア人が豚を殺している我々をどう思っているかは判らないのと同様に、タヒチの現状が判らないからコメントできない。(もっとも、日本で同じ事をやっていたら、間違いなく便乗して批判をぶち込んでいるでしょう)
それはそれとして、このワタクシも毎日のように色々なぼやきを書きまくっている。
しかし、このワタクシですら不特定多数の人が読んでいるかもしれないという前提で(実際には、たいしたヒット数ではないのだが)、文章を書いている。別に、言いたいことや書きたいことをオブラートに包んでごまかしているわけではない。というよりはその逆で、本当に言いたいことを反対意見の人にも判ってもらうように書く努力くらいはしている。
日本語で文章を書いている以上、「子猫殺し」はまずい、なんてことは誰でも判る話である。
それをわざわざ書いている人が直木賞作家であるということが解せない。この人は、文章を読み手の反応を意識しながら書いているのだろうか。
もちろん、読み手を怒らせたり、泣かせたりするというのも作家の手法なのだろうが、この手のエッセイで人を怒らせても意味がない。また、本当に言いたいことは「子猫殺し」ではなく「タヒチの現状」だったのかもしれない。(そうだとしたら、言いたいことが伝わっていないという点で、作家は失格だが。もっとも、このワタクシが偉そうに言えることではない)
文章でもそうだが、会話でも同じようなことがよくある。
例えば、政治家の発言。聞き手の反応を考えずに暴言を吐いてあとで撤回するケースがあまりに多い。
我々のような小市民ですら、言い方を間違えれば喧嘩になることだってある。少なくともそれなりの立場にある人は、書くときも、話すときも相手を意識すべきではないだろうか。
それとも、単にこの人も空気を読み違えただけなのか。。。(参照:「「パンツ盗撮」で火ダルマ」)
(関連記事)
「こんな文章で「半ズボンはダメ」と言われても。。。」
(引用)
livedoor ニュース - 女流作家「子猫殺し」 ネット上で騒然
2006年8月18日付け日経新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載された、直木賞作家・坂東眞砂子さんのエッセイが、ネット上を騒然とさせている。「私は子猫を殺している」というのである。坂東さんの掲示板では、06年8月19日にエッセイのコピーが書き込まれてからコメントが突如急増し始め、坂東さんへの批判が怒号のごとく続いている。
騒ぎになっているのは「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」という文章ではじまる「子猫殺し」と題されたエッセイ。
タヒチに住んでいる坂東さんは、家の隣の崖の下の空き地に、子猫が生れ落ちるやいなや放り投げているという。
「社会に対する責任として子殺しを選択した」
「子猫殺し」が掲載された2006年8月18日付け日経新聞。ネット上は糾弾の声で溢れている
内容は以下のとおりだ。
猫に言葉が話せるなら、避妊手術など望むはずがないし、避妊手術を施すのが飼い主の責任だといっても、それも飼い主の都合。「子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずに済む」。そもそも、「愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然のなかで生きることだ」。人間は、避妊手術をする権利もないし、子猫を殺す権利もないが、「飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない」。
最後は、
「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」
と締めくくられる。
坂東さんの「どんなに糾弾されるかわかっている」という予想通り、エッセイへの批判や怒りがネット上で噴出している。
「坂東先生の本はすべて焼き捨てます」
「坂東眞砂子・掲示板」では、06年8月19日のエッセイのコピーのカキコミがされてからというもの、批判や罵詈雑言で溢れ、その数は50近くになる。掲示板のなかで、坂東さんのファンだったという人も、
「もう、坂東先生の本は買いません。今まで大切にしてきた本も、すべて焼き捨てます。それが、先生に殺されてきた何の罪もない猫ちゃんたちへの、私ができるせめてものことだからです」
と書き込んでいる。
SNS大手のmixiでも、
「どう考えても産まれて来てから理不尽に殺されるより始めから産まれてこない方が不幸ではないと思うんですが…」
などという批判的な意見が多い。
人気ブログ「きっこの日記」でも、
「これじゃあ、人間が、避妊してセックスするのも、避妊しないでセックスして、できちゃった子供を人工中絶するのも『同じこと』って言ってるワケじゃん。それどころか、こいつのやってることは、生まれて来た赤ちゃんを殺してるワケだから、人工中絶よりもタチが悪い」
と手厳しい。
J-CASTニュースでは、エッセイを掲載した日経新聞の担当部署に電話で取材を申し込んだ。しかし、同社社長室・広報グループから書面で「エッセーは7月7日から毎週1回連載している。タヒチでの身辺雑記を中心に書いていただいている。該当のエッセーについてはメールで数十件の反響があった」という返答がきただけで、それ以外は答えてもらえなかった。
2006年08月21日19時35分
(引用終)
コメント (4)
我がままな人なのかなとも思いますね・・・
島暮らしの作家と猫、と言えば、ヘミングウェイを思い出します。
彼がフロリダの島キーウエストで暮らした家には、
彼が飼っていた猫の末裔65匹が今も暮らしていると、
「HEMINGWAY 65 CATS」という本にありました。
家は今は「ヘミングウェイ博物館」になっていて、
猫達も大事にされているそうです。
その末裔の猫の子猫は有償で譲って貰えるそうですが、
かなりの予約待ちだとか。
同じ作家でも、文豪が飼い主だと猫も幸せな人生を送るのになぁ・・・
投稿者: ひまひま | 2006年08月24日 12:21
日時: 2006年08月24日 12:21
ひまひまさま、
そういえば、去年、そのヘミングウェイのキーウエストの家(跡)に行きました。
確かに、文豪かどうかは別としても、出会った人間によって左右されますね。
おっと、これは、人間同士でも同じか。。。
投稿者: Aonori | 2006年08月24日 14:10
日時: 2006年08月24日 14:10
>おっと、これは、人間同士でも同じか。。。
うーん・・・深いお言葉ですね。
あおのりさんは、世界各地を飛び回っていらっしゃる方だったのですね。
いろいろ他のも読んでやっと気づきました。
気づくの遅くてすみません。^^; ボケているもので・・・
キーウエストにも行かれたんですね。羨ましいです。
さっきあれこれ見ているうちに、ロブスターの写真までたどり着きました。^^
「パンチョな愛の物語」にもコメントしようかと思ったんですが、
長いこと書かれていないようだったので、控えました。
投稿者: ひまひま | 2006年08月26日 15:14
日時: 2006年08月26日 15:14
>うーん・・・深いお言葉ですね。
すいません、カッコつけただけです。。。
>いろいろ他のも読んでやっと気づきました。
クダラナイ文章をいろいろ読んでいただきありがとうございます。
>さっきあれこれ見ているうちに、ロブスターの写真までたどり着きました。^^
うそっ~。そんなところまで。。。
自分でもまだネット上にあることを忘れていました。。。
>「パンチョな愛の物語」にもコメントしようかと思ったんですが、
>長いこと書かれていないようだったので、控えました。
最近「恋の物語」が生み出せなくてスランプに陥っています。
そこで、なんとか、一日一本のエッセイでごまかしています。
本当は、この「あおのり世相をぼやく」よりも気合いが入っているはずだったのですが。。。
とりあえず、週に5個くらいの文章はアップしていますので、是非ともお時間のあるときに訪ねてきていただければありがたいです。
投稿者: Aonori | 2006年08月27日 04:42
日時: 2006年08月27日 04:42