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オーストリー共和国

 な、なんと、「オーストリア共和国」が、いつの間にか「オーストリー共和国」に名称変更していたらしい。

 どうやら、日本(語)では、オーストラリアと間違えられるケースが頻発し、オーストラリア大使館と間違えてオーストリア大使館に行くという(敢えて言わせてもらうなら)バカまでいたことから、駐日大使館も日本語での名称変更に踏み切ったようである。

 日本語における外国の地名表記は、まさに日本語の柔軟性(参照:「日本語の柔軟性万歳!」)を象徴するかのごとく、よく判らない部分が多い。
 その国の言葉に合わせたケース(1)や、英語圏でないのに英語読みしたケース(2)、英語読みしていながら間違ったケース(3)、訳の判らないケース(4)、人によってばらばらなケース〔たいていは、定着した呼び方があるのに、勝手に英語読みするヤツがいるから〕(5)、その他、、、で、統一性がまったくない。
 (1)としては、ドイツや上海など。
 (2)としては、モントリオールなど。
 (3)としては、ブラッセル(英語を無理やり日本語にすると、「ブラッセルズ」のはず)
    そして、そもそも、現地語を無理やり日本語で読むと、公用語の二言語ともブリュッセルである。
 (4)としては、代表的なのが「北京」で、なぜペキンなのかはまったく分らない。
    中国の地名は、(1)の上海(もっとも「上海語」まで絞り込むと、これまた「シャンハイ」ではないのだが)や、(4)の北京、そして、完全に日本語読みの広州といった状況で、まったく統一性はない。
 (5)としては、上記のブラッセルとブリュッセルの並立が認められる。

 なぜオーストリア(オーストリーでも構わないが)がそういう読み方になったのかは判らないが、そもそもその国の言葉で読んでいれば(「エスターライヒ」のような音)、絶対に間違わないと思うのだが。
 同国大使館もせっかく変更するのだったら、自分達の言葉に近付けてほしかったものである。
 今となっては解体されてしまったが、7世紀近くも欧州で君臨していたハプスブルグ家もこれにはガッカリであろう。(参照:「ドラキュラ城返還と皇位継承問題」)

 このワタクシ、仕事柄世界各地に乗り込んだのだが(参照:「Pancho de AONORI FLYING HIGH」)、諸般の事情でオーストリーのウィーンは、香港と並んで別格に訪問回数の多い都市である。(100回以上は行っただろうか)
 冷戦ハナヤカかりし頃の永世中立国の首都ウィーンには、明らかにスパイと思われる人物がたくさんいた。その中にこのワタクシも混じっていたわけだが(勝手に「第三の男」ならぬ「第四の男」と名乗っていた)、あの頃、あれだけ多国籍の(怪しい)人々を集めていたこと自体が不思議であり、かつオーストリアの地政学上の位置付けを垣間見た気がしてならない。
 それだけに、今回の英語的な名称変更はマリア・テレジアに成り代わって残念と言わせてもらいたい。


(引用)
60年ぶり「オーストリア」改め「オーストリー」に-世界からニュース:イザ!
11/15 23:16
 欧州の伝統国「オーストリア共和国」が、いつの間にか「オーストリー共和国」となっていたことが15日、わかった。似た国名の「オーストラリア」との混同を避けるというのが目的で、同国駐日大使館商務部のホームページで「日本語表音表記の変更」として正式発表した。「栄光のハプスブルグ帝国」「音楽の都ウイーン」など、中世からの重厚な歴史と文化を誇る強大帝国の名称復活はめでたい限りだが、あまりに唐突な変更に周囲から戸惑いの声が上がっている。
 発表文はペーター・モーザー駐日オーストリー大使とエルンスト・ラーシャン同大使館商務参事官名で10月に出された。文面はまず「日本ではオーストリアはオーストラリアと常に混同されており、違いを明確にするため」と今回の変更の目的を明記。続いて19世紀から1945(昭和20)年までは「オウストリ」と表記されていた史実が列挙され、「(日本国内で今後)『オーストリー』の名が広く速やかに浸透していくことと存じます」と結ばれている。
 あまりに突然な変更だが、この「オーストリー」の表記、実は日本人には馴染み深い。国内初の本格的な国際地理誌「萬國地名往来」=1873(明治6)年発行=には同国は「ヲウストリ」とされ、翌年開催されたウィーン万国博覧会も開催国「オウストリ」と宣伝された。第一次大戦までは英独仏露とならぶ欧州五大国(列強)の一角だったこともあり、文明開化後、富国強兵の憧れが強かった日本にとって「オーストリー」の表記は憧れの存在でもあった。
 オーストリー帝国はその後、第一次大戦での敗戦により解体され、ドイツ人地域で共和国化。第二次大戦前にはナチス・ドイツに併合されこともあり、同大戦後は永世中立国として再出発した。激動の20世紀にもまれた同国は冷戦時、東西の接点の役割も果たしていたが、近年の欧州連合(EU)加盟などにより中立色が薄れ、その後は欧州の一員としての性格を強めている。
 英語読みの「オーストリア」が主流となったのは第二次大戦後。ここから南半球の大国「オーストラリア」と混同する日本人が増え始めた。最近では東京都港区元麻布の同国大使館には間違って訪問する人のためにオーストラリア大使館(同区三田)への道順を記した地図を用意するほど。かつての伝統国が直面しているのは、こうした現実だった。
 今回の変更で、同国関係者はすでに「オーストリー」と刷られた名刺を使うなどかなりの意気込み。その半面、国内からは「いつ変わったの?」「どっちの表記を使えばいいの?」といった問い合わせが寄せられるなど、混乱の感は否めない。平成15年に「スロヴェニア」を「スロベニア」、「チェッコ」を「チェコ」、「サイプロス」を「キプロス」に変更したばかりの外務省は「オーストリア大使館からの正式な申し入れがありませんので…」と態度を決めかねているもよう。
 「オーストリア」と「オーストリー」、定着するのは果たしてどっち?
(引用終)





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コメント (6)

ひまひま:

生きていれば今年111歳の私の祖母は、
ずっと「オーストリー」と呼んでいました。
昔はそうだったのかも・・・
元に戻っただけかもしれませんよ。

ついでに・・・祖母は英国を「エゲレス」と呼んでいました。^^;

 いやはや、勉強になります。
 それでは、このワタクシも「オーストリー」で通します。

しろ松:

いつも“ポルトゥガル”と書く友人がいます。

台北競馬場:

中国人はカナダを「チャナダ」と言います。

あおのり:

しろ松さま

 なかなかポリシーがある友人ですね~。
 (それがポルトガル語的に合っているのかどうかは知りませんが。。。)

あおのり:

台北競馬場さま

 それを言うなら、日本人はCanadaを「カナダ」と言います、、、やろ~。
 所詮、言語なんて、他の言語の人が発音した瞬間に、母国語の人からしたら無茶苦茶でっせ。
 アメリカ人には何度言っても、「アカサ~~カ~」は直らない。。

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