溶けゆく日本人
最近の国会では、議事の最中でもメールの送受信に忙しい議員が目につくと言うことである。
以下の記事では、その事実を例として、携帯の奴隷となり、溶けていく日本人と主張している。
しかし、果たして日本人は(この記事の言葉を借りるなら)溶けているのだろうか?
あえて言うなら、溶けているのではなく、ずっと溶けていただけのことである。
時代とともに、学校であろうと国会であろうとサボり方が変わっているだけのことであり、携帯電話のなかった昔は、漫画を読んだり、私語をしたりしていたのが、携帯電話の登場によって、メールの送受信となっただけの話である。
だから、5年後には新たなツールでサボり始めるに違いない。
問題は、携帯ではなく、そもそもの日本人のモラルである。
しかしながら、学校制度は、乱れているとはいえ世界有数の勤勉な国民を生み出し、国会も無茶苦茶ではあるものの、世界でトップクラスの先進国の政治をどうにかこうにか支えている。
マナーやモラルが悪いこと自体は問題だとは思うが、それでは全てが禁じられた社会の方が良いと言うのだろうか。
こうやって、マナーの悪いヤツがいると誰かが報じ、それに対して誰かがぼやくことができる社会で十分なような気がする。
マナーが悪い国会議員は、次の選挙で落とせばよいだけの話であり、マスコミとしては、携帯電話(の使用)を非難するのではなく、その議員を名指しで報道すべきである。
学校での携帯電話の使用が本当に問題なら、義務教育レベル以外では退学にすればよいだけの話である。
しかし、なかなかそうはならないのは、それが社会というものだからではないのか。
完璧でロボットのような人間が1億人もいたら、まったく面白みのない国になってしまう。
国会で携帯電話の送受信をしまくった結果重要な審議ができなかったとか、学校でメールばかりしていた結果アホだらけの国になったとかというのであれば相当な問題であるが、その気配はあまり見られない。昔も、国会でサボったり、学校でサボったりするヤツはいたが、日本が世界の最貧国に落ちぶれたわけでもない。
本当に携帯電話が問題であれば、学生や国会議員を非難するのではなく、携帯電話の販売を禁止する動きをするべきであるし、飲酒運転が問題であれば、酒や車を売らなければよいだけの話である。これまた、つまらない国になってしまう。
溶けた人間もいるにはいるが、溶けていない人間もきちんといて、社会としてはそれなりに機能しているのが現在の日本である。
一部の溶けた人間が社会に迷惑を掛け捲っているなら問題ではあるが、溶けることのないような人間の引き起こす事件も多い。
少なくとも、このワタクシは、人には迷惑を掛けない前提での、溶けまくった日本人で生きたい。
(引用)
【溶けゆく日本人】携帯の奴隷 議場でメール、注意も無視-話題!ニュース:イザ!
01/08 20:21
≪モラル破壊の惨状≫
「公共の精神」。その尊さを謳(うた)った改正教育基本法など、幾多の重要法案が審議された昨年秋の臨時国会。そのさなかの11月30日午後のことだった。
「小学生に申し上げるようで恐縮ですが…」
衆議院本会議直前に開かれた自民党代議士会で、マイクスタンドの前に立った議院運営委員会理事の西川京子氏は、そう切り出した。
「ご存じとは思いますが、本会議場では携帯電話のスイッチを切り、使用されないようにお願いします」-。出席していた自民党議員からは一瞬ざわめきが起き、そして失笑が漏れた。
西川氏がこの日、携帯電話について注意を促したのにはワケがあった。前日、議運の逢沢一郎委員長が河野洋平衆院議長に呼ばれ、こんな苦言を浴びせられたのだ。
「本会議中、新聞を読んだり、携帯電話を操作したりする議員が目につく。若い人はルールを知らないのではないか」
衆議院規則では、議事中に新聞や書籍を読むのは原則、禁止している。携帯電話の項目はないが、これに準ずるという解釈なのだろう。
「議長席から、行儀のよくない行為が目につくらしい」。30日午前、与党の議運の理事が集まる「与理懇」で逢沢氏からこう伝えられたとき、理事の面々は思わず顔を見合わせた。「まさか、こんなことを注意されるなんて」。だれともなく漏らした言葉には、“小学生並み”に扱われた恥辱が滲(にじ)み出ていた。
◇
「国民の信頼にもとることがないよう努めなければならない」
「言動のすべてが常に国民の注視の下にある」
国会議員に配布される「衆議院手帖」「参議院手帖」に記された政治倫理綱領の一節だ。
文字通り、先の臨時国会で議員の手元を“注視”してみた。そこには、信頼にもとる、美しくない姿が数多(あまた)あった。ある参議院議員は本会議中、左手で携帯電話を見事に操りながら、議場で拍手がわくと、それにあわせて右手で太ももを叩(たた)く、そんな醜い姿を延々と晒(さら)した。議会中に隣席の議員と携帯電話の画面を見せ合って、にやつく光景もあった。
数年前、「大学の教室から私語が消えた」と話題になったことがある。携帯電話による「メール私語」が取って代わったのだ。国会の場がそれとダブる。野次(やじ)と怒号が減り、静寂に包まれる一方で増える“沈黙の私語”。
素早い政治活動のために必要なメールもあると“抗弁”する関係者もいる。「地元でだれかが市長選に出馬表明したなど、本人に影響がある重要ニュースが入ると、すぐ知らせ、考えをまとめてもらう」とは、ある国会議員の秘書。だが、小さなマナーさえ守れない議員が、公約など守れるのだろうか。
「議長席からは議席がよくみえるんだ。恥ずかしいことだな」。こう語ったのは、平成8年から7年間、衆議院副議長を務めた民主党最高顧問の渡部恒三・衆院議員。携帯電話が国会の場を“侵食”する光景を、「国民の手本になる責任感や誇りがなくなってしまったのだろうな」と嘆いた
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カメラを、CDを、本を…とさまざまな世界を食い潰(つぶ)し増殖する携帯電話は、人としてのモラルや常識をも確実に蝕(むしば)んでいる。
晴れの式典の最中に携帯電話のメールに夢中になる親や新成人ら。心臓のペースメーカーへの悪影響を考え電源を切るよう呼びかけるステッカーが張られた優先席に座り、メールに興じる若者たち。病院での治療中にメールを打とうとする人々。先月にはプロ野球の契約更改の最中に幹部の携帯電話が2日続けて鳴り響き、選手が憤慨するようなこともあった。
そしてJR東日本には、こんな“苦情”も寄せられるようになる。
「車内での携帯電話の使用を認めろ」
自民党の西川議員は言う。「『公共の精神』を重んじる教育を受けていないことが大きい」
その西川議員が口頭で注意してから、国会の場から携帯と“戯れる”議員の姿は消えたのか。答えはノーだった。先生の言うことを聞かない「学級崩壊」現象が、教育基本法の改正を議論する国会の場でまさに起きていた。
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かつて「菊の優美さ」に喩(たと)えられた高いモラル観が、小泉八雲が礼賛した美しい礼節の数々が、日本人から急速に失われようとしている。溶けゆく日本人の姿を連載で追う。
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《メモ》携帯電話のマナーがわずかながらも改善されているというデータもある。
日本民営鉄道協会が大手16社の利用者に年1回行っているアンケートでは、平成11年度から15年度まで4回連続(12年度は実施せず)で、迷惑行為の1位は「携帯電話」だったが、16年度以降は3年連続で「座席の座り方」が1位に(携帯電話は2位)。協会では、15年9月に関東圏の主要鉄道各社が「優先席付近では電源オフ」「それ以外ではマナーモードを設定し、通話は遠慮」と呼びかけを統一したことが大きいとみている。
(引用終)