映倫、映画「ブッシュ暗殺」を却下
米大統領暗殺を描いた英国のサスペンス映画について、映倫管理委員会がタイトルを変更するよう配給元に求めているらしい。
(引用)
映画「ブッシュ暗殺」を却下=映倫が邦題変更求める
2007年05月17日12時36分 クリップ (コメント 0user)
米大統領暗殺を描いた英国のサスペンス映画「ブッシュ暗殺」(邦題)について、映倫管理委員会が審査で退け、タイトルを変更するよう配給元のプレシディオに求めていることが、17日分かった。映倫では、「あらゆる国の主権を尊重し、元首、国旗、国歌及び民族的習慣の取り扱いに注意する」という規程に、タイトルなどが抵触しているとしている。
原題は「Death of a President(大統領の死)」で、ニュース映像を交えてブッシュ大統領の暗殺後を描いている。昨年のトロント映画祭で国際批評家賞を受けたが、米国内では大手映画館チェーンが上映を拒否した。10月公開を予定しているプレシディオは、「過去には国家元首の名前を使った映画もあるので、再検討をお願いしている」としている。
(引用終)
タイトルだけを見て、映倫も相変わらずうるさいなと思ったものの、これは配給元の方が分が悪いですな。
そもそも、どうして「Death of a President」の邦題が「ブッシュ暗殺」になるのだ?
もちろん、内容からそう分かるのであればそれでも良いような気がしなくもないが、ほとんどの場合の邦題の付け方というのは、「そうしておいた方が売れるかもしれない」的な付け方である。それがビジネスというものかもしれないが。
だから、映画の邦題にしても、外国本の日本語版の名前にしても、外国曲の日本語タイトルにしても、妙なものが異常に多い。
一番頭にくるのが、元々外国語のタイトルなのに、外国語で別のタイトルを付けたりしているケースである。まったくその行為の意味が判らない。
当然、映画の字幕や、外国本や、外国曲の歌詞には訳者がいて、その人の訳すときの感覚や意図には我々消費者とは違う感覚があるのだろう。
しかし、我々が最も知りたいのは、原作者の感覚や意図であり、プロモーションのために原作者とは意図のずれた日本語で誤魔化されたくはないのである。
宣伝するならタイトル以外でやってもらいたいものである。
(もちろん、そんなことを言っていたら、タイトルにならない映画も多いので、配給元の気持ちも判らんではないが)
追記)
とはいうものの、「Death of a President」が「ブッシュ暗殺」というのは、他のくだらない訳し方に比べるとレベルが高いと思わざるをえない。
しかし、映画の内容としてはブッシュを意図しているのかもしれないが、「a president」としたところに原作者の意図があるとしたら(というか、意図がないわけはない)、大統領を特定したらいかんのではないだろうか?
(関連エントリー)
「エルサレムなんて街はない。。。(あおのり世相をぼやく)」
「日本語の柔軟性万歳!(あおのり世相をぼやく)」
「北京市「おかしな英語」根絶へ!(あおのり世相をぼやく)」