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あれから1300年

 奈良県で高校生をやっていた17歳の秋までは、自分の人生において東京に行くことなんてほとんどないと思っていた。例を挙げる都市が東京である必要性はないが、一応首都ということで東京を例に挙げた。要するに、近畿以外の場所に行くことはほとんどないと思っていた。

 近畿には天下の台所であった大坂(大阪)があり、仕事に困ることはない。(特にあの頃は、日本はバブル経済の頂点に向かっていた)
 外国に行くのも、近畿には国際空港があるわけだから困ることはない。
 首都に行くのは、就職した後の出張くらいだろうと思っていた。

 ところが、教育実習でやってきた女子大生のお姉さんを見た瞬間に、一瞬東京での大学進学が頭をよぎった。
 とはいえ、それは単にお姉さんに憧れただけであって、東京に憧れたわけではない。
 そして、結果的に、共通一時試験という魔物に翻弄されたこのワタクシは、近畿の国立を諦め、落ちたとしても友人等に自慢できる私立大学を受けに、人生で初めて関が原を越えた。
 家を出るときの母の言葉は、「ちゃんと予備校を探してくるように」だった。。。

 人生なんてどこでどうなるかまったく分かったもんではない。
 奈良で生まれたわけでもないし、たまたま奈良の高校に通ってはいたが、高校進学のときも京都か奈良かで散々迷った挙句奈良に行っただけである。
 あの時、京都の大学附属高校に行っていたら、そのままその京都の大学に(試験もなしで)進学していたことだろう。
 すると、間違いなく、東京には出張でしか行くことのないような人生を送っていたに違いない。
 15歳の決断が、18歳の決断を変えてしまったのである。
 つまり、ほとんど勉強しなくても進学できるはずの大学を、もう一度受験しないといけないという選択を15歳のときにしてしまったこのワタクシは、自らのプライドのために近畿から逃げたのであった。

 確かに、東京で受けた大学からは続々と不合格通知が届けられた。
 、、、が、一つだけ合格通知が紛れ込んでいた。。。
 外国にも、外国語にもまったく興味がなかったこのワタクシのために狭き門を開いてくれたのは、外国語学部英語学科というところだった。なぜ受けていたのかも今から思えば分からない。ただその大学の中で、最も沢山の人数が入れる学科であったことだけは確かだ。
 好き嫌いの問題ではなく、選択肢が他になかったこのワタクシは、18歳の春に東に下った。

 東京というところは妙なところであった。
 男の話し方はオカマとしか思えなかったし、阪神タイガースのユニフォームは我々の知っているユニフォームではなかった。
 でも、もうあれから、それまでの人生以上の月日が流れた。


 高校の同窓会にも顔を出したことのなかったこのワタクシは、最近久々に奈良の地を踏んだ。
 通学に使っていた国鉄奈良駅(今では当然JR奈良駅だが)の駅周辺では大規模な工事が行われていた。
 なんと2010年は、平城遷都1300年という記念の年なので(一瞬考えたが、確かにそうだ)、イベントが盛り沢山だという。そして、JR奈良駅前の工事もその一環で行われているらしい。 
 もっとも、その駅前には、我々が高校生の頃から立っていたと思われる、古ぼけた「中央リニア奈良駅実現」なんていうケッタイな看板も立っているが。

 それにしても、「平城遷都1300年」という記念すべきことをこの国のどれだけの人間が知っているというのだ?

(引用)
読売新聞より
□地域活動消極的
 大阪へ通う県民100人に昨年末、読売新聞はJR、近鉄の計5駅周辺でアンケートを実施。
 (中略)
 5人中4人は平城遷都1300年を2010年だと知らなかった。
(引用終)

 奈良県民の8割が知らないイベントをやる意味がどこにあるのだ?
 もっとも、奈良県は、昼間に県外(主に、大阪府&京都府)に通勤する"奈良府民"の割合が、ここのところ20年連続で全国1位というくらいだから、奈良県で何が起こっているかを知らない人が多くてもあまり驚くことではない。
 しかし、この「平城遷都1300年」というイベントは、単なる県のイベントではなく国家イベントのはずである。その証拠に、「平城遷都1300年記念事業推進議員連盟」の役員には、元首相を始め著名な政治家が名を連ねている。
 だとしたら、このイベントとは、駅前の道路を拡張したりするためだけにあるのだろうか?
 今は単なる広場になっている平城京跡を忠実に復元するとか、そういうことに金は使われるべきなのではないだろうか?(平城京は、京都に都が移ったすぐあとに、もう畑と化していたらしい。西暦800年ごろか)

 ちなみに、高校の頃、奈良県は全国(除:北海道と沖縄)で唯一東京から直通列車が走っていない県であったが、現在では全国(除:沖縄)で唯一JRの特急や急行が走っていない県である。(要するに、座席指定券で乗る列車が走っていない)
 また、奈良県は高速道路の総延長距離が全国最短であり、奈良市は、県庁所在地で高速道路の通っていない数少ない市の一つである。
 当然、空港も新幹線もない。リニアなんていつできるのだ?
 要するに、ある意味、日本の発展から完全に取り残されている県である。
 また、「奈良」を知らない日本人はいないと思われるくらいの知名度なのに観光客が奈良に泊まることはほとんどなく、観光地にしてはホテルがほとんどないに等しい。おまけに、観光する場所は、県内全域に点在してしまっている。(ちなみに、日本で16ある世界遺産のうちに3つも奈良県内の場所が入っている)

 JRに関しては、代わりを近鉄が行ってあまりあるくらいの路線網があり、人口に対する鉄道の総延長距離は全国有数であることを考えると仕方のない部分である。
 また、観光に関しては、京都のついでに奈良とか、泊まるのは大阪で奈良に観光という旅行者が多いのが現実であり、京都や大阪への近さが災いしているといえなくもない。

 要するに、奈良県は、近くの都会に行くには「これほど便利なところはない」県であり、遠くから来るには「これほど不便なところはない」県なのである。
 かつての天下の台所の経済も平成以降は泣かず飛ばずであり、良いか悪いかは別として、現実的にますます東京への一極集中が加速してる。
 結局、平安遷都以降の奈良は、京に近いだけの場所であり、現代においては大阪に近いだけの場所でしかない。日本有数の大都会に近かいということに甘んじて、何もしてこなかったというのが事実だろう。
 そして、経済的な重心が国土の東の方に動いてしまった結果、その重心と直結する交通が何もないというのは明らかに県の発展を阻害していることは間違いない。(多分、東京と飛行機もしくは鉄道で直結していない県は、奈良県と三重県と福井県だけだろう)


 こう考えると、来年いきなり空港や新幹線やリニアができるわけでもなく、経済的に再生していくには、やはり観光が一番手っ取り早いはずである。
 しかし、今までのように「古都があるから」というような受身の観光戦略では何も変わらない。
 というような偉そうなことを言っているこのワタクシに何かアイデアがあるわけでもないが、少なくともあの多感な時期に平城京の真ん中を毎日電車で高校に通っていた恩義もあるので、微力ながらできる限りの宣伝をしていきたいものである。少なくとも偶然この文章を目にした人は、「平城京遷都1300年イベント」の存在を知ってくれることだろう。

 10年一昔とは言うが、1300年の月日は、当時の国家最大の都市をいとも簡単に何もない都市にしてしまうものである。
 しかし、奈良では、大仏も聖徳太子も蘇我入鹿もアナタを待っている。


追記)
 2008年01月26日(このワタクシの誕生日である)から、奈良が舞台の映画「全然大丈夫」が公開されるとのことである。(出演:荒川良々、木村佳乃など)


(関連エントリー)
 「織田裕二もビックリか? 県の企画でゴ~ルイン
 「自動販売機が喋った日
 「分岐点
 「東京の空





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コメント (6)

ツーシーム:

その昔、西大寺のことを“にしおおじ”と読んでしまい、奈良出身の方に激怒されたことがあります。(苦笑)

大変申し訳なく思っております。

あおのり:

ツーシームさま
 
 日本が、いくつもの読み方ができる漢字を国語としている以上、この手の間違いは仕方がないことだと思います。
 もっとも、西大寺は、国宝だけでも6つも持っている(それ以外の文化財は無数にある)寺なので、今後は覚えておいても損はないでしょう。

 なお、"奈良において"は、西大寺がスゴイ寺であるとか文化財が多いとかいう以前に、東京の新宿や大阪の天王寺級のターミナルなので、読めない人はいないと思います。
 このワタクシは、大阪から奈良に行ったときに、「東大寺」があるから「西大寺」があるのも理解はできたものの、大仏の「東大寺」の方がインパクトが強すぎて、「東」の「大寺」というよりは、「東大寺」自体を一つの言葉と思い込んだせいか、「西大寺」という漢字には最初ものすごく抵抗がありました。

ツーシーム:

教授様

関西には難しい名前の駅が多いですよね。

雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)が読めず、真剣に“うんじゃくおかはなやしき”と読んでいた時期がありました(笑)。

あおのり:

 それはまた豪快ですね~。
 
 ちなみに、このワタクシ、大学受験で初めて東京に来たとき、「丸の内線新宿駅」から「都営新宿線九段下」駅まで移動するのに、新宿駅の券売機上の地下鉄路線図で、「新宿→新宿三丁目・新宿三丁目→九段下」というルートは判ったものの、新宿三丁目駅で乗り換えるときに、「どちらまで行かれますか?」と聞かれて、「くだんしも」と言った記憶が蘇ってきました。。。
 まだ自動改札が無く、駅員が切符を切っていて、乗り換えのときに一々駅員に切符を見せないといけない時代でした。。。

ツーシーム:

あおのり様

京都の烏丸(からすま)のことを真剣に“とりまる”と連呼していた時期もございました。(苦笑)

あおのり:

 すいません、、、このワタクシも思わず苦笑してしまいました。。。

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