地震の死者
防災担当大臣が、「人命被害は幸い少なかった。1人だから」と記者団に述べたことが物議を醸しているらしい。
(引用)
地震の死者、「1人でよかった」=首相、防災担当相発言に理解
(時事通信社 - 03月26日 23:10)
溝手顕正防災担当相は26日、能登半島地震の被害状況を視察するため訪れた石川県輪島市で「人命(被害)は幸い少なかった。1人だから」と記者団に述べた。これに関し、安倍晋三首相は同日夜、首相官邸で記者団から「不適切発言ではないか」との質問を受け、「その話は聞いていないが、死亡された方が1人でよかったという意味なんだろうと思う」と一定の理解を示した。
地震の規模に比べて死者が少なかったことを強調したかったようだが、被災者への配慮に欠け、誤解を招きかねない表現と指摘されそうだ。
[時事通信社]
(引用終)
一昔前、たぶん阪神大震災の頃までだろうか、地震で一人でも亡くなれば大ニュースであった。いや、それどころか、地震でおばあさんがタンスで頭をぶつけても繰り返し報道されていたような記憶がある。
阪神大震災の日、運良く(←これも不適切発言なのか)難を逃れたこのワタクシは、大阪市内某所で固唾を呑んでニュース速報を見ていた。
少なくとも、阪神大震災は、このワタクシの人生において、ソ連崩壊の日のモスクワ市内でドンパチの火の中をどうすることもできなかった事に匹敵するくらい、身近に起こった超大事件の一つである。
最初、被害の様子が判らなかった時点では、死者の数は(報告されて)なかったが、いきなり200人とか、1000人とか、トンでもない数字になり、その後その数が止まることは数日間なかった。
翌日、救援物資を持って西宮市内を歩いていたら、ガス臭い道路脇に、明らかに地震の瞬間から手を付けられることもなく放置されたままの、潰れた家が何軒も並んでいた。たぶん、目の前の一体だけで数十人は亡くなっていたに違いない。安否を確認することもなく、先を進んだ自分の罪は大きいと思う。
地震であろうが、交通事故であろうが、自殺であろうが、一人の人間が死ぬということは、大変なことである。
「1人だからよかった」、「6000人だから今回は残念(確かに残念だが)」なんてことはないはずである。
そして、震源から遥か離れた東京のど真ん中で、少なくとも心配して(かどうか知らんが)現地に入った大臣の「不適切発言」を糾弾するマスコミがいる。そんな暇があるなら、自分が現地に入って救援方法でも考えたらどうなんだ。少なくとも、こういう有事のマスコミの影響力は大きいはずである。
不適切発言かどうかを決めるのは遺族であり知人である。糾弾する権利があるのも遺族であり知人である。東京のど真ん中でノウノウとしているマスコミに、関係者の代わりに言葉尻を糾弾してもらいたくもないし、その権利もないはずである。
マスコミが鬼の首を取ろうが、大臣が不適切かもしれない発言をしようが、そんなことよりも、救援が先である。
、、、な~んてことを言っているこのワタクシも、東京のど真ん中でくだらない文章を書いている最低な男である。
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