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空気が読めない

 産経新聞に「大人のいじめ」に関するコラムが載っていた。

(引用)
【コラム・断】「言葉不全」から大人のいじめ ボランティア団体の意外な豹変-本・アートニュース:イザ!
 担任教師の言動がいじめのきっかけとなり、生徒を自殺に追いやった。
 15年ほど前も、ある日突然1人の生徒が全員に無視(シカト)されるという、いじめ報道があった。が、日本から遠く離れたサンフランシスコに住む私が同じ目にあうとは思いもしなかった。しかも、相手は東京からきた弱者を助けるボランティア団体の人たちだった。
 ボランティア運動では先を行くアメリカに学ぼうと彼らはやってきた。団長は全国紙を退職したばかりの元記者。副団長は都職員。旅行社が中に入り、アメリカのボランティア団体の話を聞く講義などを組んでいた。
 私は講義をするアメリカ側から招待された。日本の月刊誌用に彼らを取材したばかりの私の知識が、日米の架け橋になれば、といわれた。それこそボランティア精神で引き受けた。同じ日本人だから、一行と一緒のテーブルについて自由に意見を述べてくださいとアメリカ側にいわれたのだが。
 3日めの朝、突然日本人一行に無視された。おはようございますの挨拶を返してくれたのはたった2人。1日中無視された夕方、感じのいい副団長が私を呼んで言うのだった。「あなたがブルーアイで金髪だったら-。同じ日本人が英語も話せてボランティアのことをわれわれよりもよく知っているのはちょっと」
 人にはそれぞれの感情や言い分がある。それを「無視」ではなく、まず言葉で伝えようとするのが大人ではないか。子供社会のいじめは、コミュニケーションツールとしての言葉を持たない大人社会の反映そのものなのだと実感した。残念ながらそれは今も変わらない。(評論家・井口優子)
<産経新聞>
(引用終)

 確かに、「イジメ」は子供の社会だけではなく、大人の世界でも同じである。
 「イジメ」と聞けば、「それはいけない」と誰もが思うとは思うのだが、対処方法についてはこのワタクシにはよく判らない。少なくとも、「イジメ」る人間のケツの穴が小さいことだけは確かなのだが。

 一方、このコラムなのだが、非常に違和感を感じざるを得ない。
 確かに、文章を読む限り「総スカンを喰らった」のは確かなのだが、このワタクシがその場に居合わしても、挨拶くらいはするだろうが、嫌な気がしたに違いない。
 要するに、「私はアメリカにかぶれてます」という匂いがプンプンとするのである。
 このワタクシ、(それは非常に良くないことなのだが)アメリカ帰りの人間とはあまり仲良くなれる気がしない。総じて世界が狭いのである。現実的には、アメリカという国の影響力が世界の隅々まで轟き渡っている以上、アメリカを知っていれば十分なのかもしれないが、現実的には、その土地、その土地の多様性があるはずである。

 昔、子供の頃にアメリカで育った先輩から、インドネシアのビジネスを引き継いだのだが、先輩曰く「彼ら(取引先)はケシカラン。まったく言葉も通じない」とのことであった。ちなみにその先輩の英語はものすごくうまい。
 「こりゃ大変っ」と思いながらジャカルタに乗り込んだのだが、見るからに人の良さそうな連中が空港まで出迎えてくれた。
 このワタクシは、成田空港で買った「ひとことインドネシア語」を見ながら「スラマッ・スィアング」と叫ぶと、相手も「スラマッ・スィアング」と言ってニコニコしている。まったくケシカラなくはない。
 さすがに、それ以上のインドネシア語は無理なので、仕方なくゆっくりとした英語で話していると(というか、早い英語なんて話せない)、会話もビジネスもそれなりに進んだ。
 最後の日の宴会のときに、「前の担当者はいけ好かないヤツだったな~。あんなマシンガンのような英語を話されても、会話が成立する訳がない。ここはインドネシアだっ。おまけにアジア人に英語でペラペラ話されても頭にくるだけだ」と相手が呟いていた。

 とはいえ、別の国では、うまくやっているアメリカからの帰国子女の同僚もいた。
 彼は、間違いなく相手に合わせて相手レベルで英語を話しているし、ビジネスの話の合間にも現地に応じたジョークなども取り入れて、いわゆる「オモシロイ奴」であった。

 要するに、大人の社会にとって、人間関係上最も重要なのは場の空気が読めるかどうかのはずである。普段陽気なヤツでも場に合わせておとなしくなったりできるかどうか、というのが重要なはずである。
 このコラムも、英語がうまいのは仕方がないとしても、他の人から見たらその部分が頭に来たから無視という行為に繋がっただけで、それ以外の部分(実はお茶目である、気の利いた冗談も飛び出す、ボランティアのことでも訪問者と同じ目線で通訳を進行する、など)で他の人をうならせるものがあれば無視されることはなかったような気がする。
 コラムの結論が「言葉」に至った部分で、空気が読めていないことは明らかである。
 「言葉」は表面的で目立つものなので焦点が当たったのだろうが、間違いなく、無視された理由は別のはずである。

 最後の部分に、
 「人にはそれぞれの感情や言い分がある。それを「無視」ではなく、まず言葉で伝えようとするのが大人ではないか。子供社会のいじめは、コミュニケーションツールとしての言葉を持たない大人社会の反映そのものなのだと実感した。残念ながらそれは今も変わらない」
 とあるが、それはその通りかもしれない。
 しかし、実際には、「それを「無視」ではなく、まず言葉で伝えようとするのが大人ではないか」ではなく、「それを「無視」ではなく、まず言葉で伝えようとするのがアメリカ人ではないか」であり、「残念ながらそれは今も変わらない」ではなく、「それが日本である」である。
 日本を離れる期間が長いほど、日本のことはよく判るはずなのだが、この文面から見る限り、アメリカナイズされただけのような気がしてならない。


 、、、なんてえらそうなことを言っているこのワタクシも、、、アメリカ帰りだが。。。


(「イジメ」関連)
 「“キモい”は撲滅すべき凶器的言語である(、、、のか?)

(「アメリカかぶれ」関連)
 小学校からの英語教育なんて





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コメント (4)

井口 優子:

私のコラムへのぼやきに同感。このコラムは660字の字数制限がある中で、事象を「断」しないとなりません。物事が起きた原因はひとつではないのに、一つだけを選んで書くようにしています。書けなかったことはたくさんあります。言葉だけでは全てを説明できないのですね、本当に。

山田:

 僕は、コメントされたのが本当の御本人かどうかは判りませんが、それはそれとして、このコラム(「言葉不全から大人のいじめ」)にはよく理解できるものがありました。
 それよりもコメントの方が理解できなかったです。文章で説明できる能力がない人が文章を書いたらいかんでしょう(流れの都合上偉そうに書いてすいません)、と一般の人は感じるに違いないでしょう。

 しかし、新聞紙上でこのコラムを読めば納得したような気がします。自分でもなぜかは判りません。それは、「字数制限」について、新聞を読む人が無意識に判っているからかもしれません。新聞って、この程度のことが書いてある媒体だろうって。
 一方、ネット上で読めば(実は新聞と何も変わらない単なる文章でしかないのに)、不正確なものは直感で拒絶が起こるのが不思議です。
 多分新聞を読んでおられない(?)あおのりさんからすると、そして、これまでの膨大なあおのりさんの記事の中で多く書かれている、世に文章を出す人の責任みたいな意見からすると、やはりこのコメントは少し理解に苦しみます。

akiko:

はじめまして。
アメリカナイズ云々よりも気になったことがあって書き込みます。

団体さんの態度は、何かを学ぼうという立場の人がすることじゃないですね。金髪碧眼だったら、って、何を説明したつもりなのでしょうか。
「だからわかってよ」ということでしょうか?言葉悪いですが、アホか、と。

かぶれているのは団体さんのほうですね。
アメリカ側だって、「同じ日本人なら馴染みやすいだろう」と配慮してくれたはずでしょうに。
人の好意も、自分たちの渡米も無駄にしてしまうような振る舞いのように見えますね。

ただ、空気読めたほうがいいよなあ、というのは同感です。
自分も相手も生きやすくなってハッピーですよ。
私も帰国子女で、帰国当初は本当に酷いものでした。
帰国してもうすぐ10年になりますが、多少は空気を読むことを覚えて、ものすごく生きやすくなったなあ、と実感しています。

しかしそれを相手も絶対にしてくれないと困るよ、と過度に期待をするのは「甘え」ですね。
「甘え」は物事を言葉だけに委ねない、奥床しい美徳とも言えますが、「甘え」の概念に双方の食い違いがあった場合、すばやく切り替えることも必要なのではないかと思います。

あー、要するに「どっちもどっち」ですね。
そして私もご本人?のコメントの意味がわからなくて苦しいです。

長々と失礼しました。
面白いのでまた来ます。

高速スライダー:

あおのり様

空気を読むのは一見簡単に見えて実はとても難しいですよね~。

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