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“キモい”は撲滅すべき凶器的言語である(、、、のか?)

 ライブドアのパブリック・ジャーナリストの方が、「“キモい”は撲滅すべき凶器的言語である」と書いておられる。

 書いてある内容そのものは、概ね理解できなくもない。
 しかし、そんな言葉はいくらでもあるように思うのである。また、時代とともにその言葉は変わってきたような気がする。
 おまけに、「その破壊力は、“バカ”や“アホ”とは比較にならない」とも書かれておられるが、いやいや、少なくとも「バカ」の破壊力は相当なもんでっせ。
 このパブリック・ジャーナリストと同じ大阪府で言語を習得したこのワタクシ、東京に住み始めて以来、連日のように発せられる「バカ」という言葉を聞くたびに、思わず殺人事件を起こしたくなる衝動を抑えるのに必死である。
 しかし、その「バカ」とて、関東で言語を習得した方々には、我々畿内にルーツを持つ人の「アホ」くらいでしかないわけである。
 また、このワタクシとて、興味のある女の子の気を引くときにわざとオドケて、その娘に「バカじゃないの。。。」なんて言われると、鼻の下を長くしてしまうのである。
 これは、「キモい」であっても同じである。

 要するに、撲滅すべきは言葉ではないのではないかと思うのである。
 確かに、このパブリック・ジャーナリスト殿が言われるとおり、「キモい」は、「自分がある対象に向かって不快感を表す場合に、なんとなく用いる事だけが決まり事で、対象の定義・使用方法など、肝心なところはアイマイモコ」な言葉かもしれない。
 しかしだ、、、一般的にこの言葉を発する人物を良く思う人は少ない。

 人間社会において、よく考えれば当たり前な事であるが、自分自身が当事者になると当たり前でなくなる事がある。
 それは、「(自分が常識人である限り)自分が嫌だと思う人物に対しては、たいていの人々も嫌だと思っている」ということである。これが、自分と無関係なことであれば、そう割り切れるのだが、いざ自分に直結する事態が起こると、「自分だけがヤツを嫌っているのかもしれない」と思ってしまい、落ち込み、悩むわけである。
 だから、他人に対して第三者が発した「キモい」を聞いたとき、その言葉を発した人物を影では非難できるのだが、自分に発せられると、その通り受け取って悩んでしまうわけである。実際には、第三者は、自分が第三者であったときと同じように、その言葉を発した人物を影で非難しているはずである。
 このような状況下で、人間関係が希薄な社会ではなかったら、友達にでも相談すると、「な~んだ、やはりお前もヤツを嫌だと思ってたのか、、、わっはっは」となるのだが、現代のような人間関係の希薄な社会では、自分の中で悩みが鬱積してしまうような気がする。
 つい先日も、友達に「気持ち悪い」と言われた北海道の小学生が自殺してしまうという悲しい事件があったが、絶対に「気持ち悪い」と言った友達の根性こそ「気持ち悪い」と周りの別の友達は思っていたはずである。誰か彼女を助けてあげられる友達はいなかったのか、と思うが、小学生にそんなことを期待するのもカワイソウなので、やはり先生などの周りの大人の責任は大きいような気がする。

 そして、我々大人の社会を見ても、平気で「キモい」を発するような大人が偉そうにしているのが現状である。みんな、個人的には、そんなヤツらを嫌だと思っていても、力を持っているそんなヤツらには逆らえない。
 なんでこんな社会になってしまったのだろう?

 撲滅すべきは、「キモい」等の言葉ではなく、こんな社会なのではないのか。
 しかし、それこそ「アイマイモコ」とした「美しい国」なんて言っている政治家に、この国の国民が本来持っていた「他人を思いやる気持ち」なんてものを取り戻させることは到底できないと思うのである。(おっと、話が逸れた。。。)

 
 まったくどうでも良い事だが、このワタクシ、大学で言語学を専攻し、言語学者を目指していた。
 「言葉を悪者にする」のは簡単だが、所詮は、言葉は文化の表面上の現れでしかない。
 言葉を撲滅して済むなら、みんな黙ってしまえばよいのである。
 そんな社会が楽しいわけがない。
 「言葉を悪者にする」のではなく、その文化的、社会的背景を論じ、対策を考えた方が得策だと思うのである。


(「言葉」関連)
 「我々の母国語
 「小学校からの英語教育なんて
 「日本語の柔軟性万歳!
 「お疲れさま族
 「品位のない落書き
 「コメントできない
 「遺憾の意
 「マルちゃんする
 「謝罪なし
 「相変わらずの通信社の文章レベル
 「浅田次郎先生に学ぶこと
 「暴言を吐きまくるオウムの運命
 「携帯のメールで「あ」と入力して、最初に候補に出る言葉は?
 「「ググる」という言葉が使えなくなるらしい。。。


(引用)
livedoor ニュース - “キモい”は撲滅すべき凶器的言語である。
【PJニュース 10月04日】- “キモい”。日本語の言葉は星の数ほど存在するが、これほど無邪気で簡単に相手を深く傷つける事が出来る言葉は見当たらない。それを一言発するだけで、侮辱と軽蔑、人格の否定と不信任の思いを相手にぶつける事が出来るので友人・知人を傷つけ罵るためには、最高に便利な言葉である。その破壊力は、“バカ”や“アホ”とは比較にならない。
 子供達と若者を中心に、その言葉は広域に蔓延しており、流行語から常用語に昇格してしまっている。実のところ、この言葉の用法は極めて不明瞭であり、使用者の大多数がよく分からないまま、曖昧に使っているのが現状だ。「うわぁ、キモい。」、「なんかキモい。」などと、自分がある対象に向かって不快感を表す場合に、なんとなく用いる事だけが決まり事で、対象の定義・使用方法など、肝心なところはアイマイモコだ。
 いつでも誰でも、無意識・無自覚で使え、抽象的ながらも相手の心を切り裂く事が出来る言葉で、その存在は凶器的である。常々テレビメディアでは、俗に言う放送禁止用語を使わないように、厳重かつ細心の注意を払っているが、由々しき事にそれに匹敵する侮辱表現である“キモい”は、バラエティ番組を中心に乱用されている。
 放送する言葉や表現に異常と言えるまでに気を配りながらも、片方でその言葉を無造作に垂れ流しているのだから辻褄が合わない。無論、子供達と若者が触れる他のメディアでも、“キモい”という言語が溢れかえっているのだが。悪しき言葉の宣伝工作は慎んでいただきたいと切望する。
 時として、我々の言葉は銃刀を越える凶器に変貌する。“キモい”は子供達の国語力・社会の健全性・平穏なコミュニティを保つためにも、この世から撲滅すべき言葉だ。少なくとも表現の自由によって保護するに値しない愚劣な言語であり、健全平穏な日本社会には不必要な代物と言える。

※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJニュースはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。
パブリック・ジャーナリスト 藤原 和也【大阪府】
(引用終)





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コメント (4)

ゆ:

キモいじゃ無い言葉だって、苛め言葉は沢山あるよ。
大体が苛めなんて、何十年も昔からあるし。
言葉を無くすのじゃ無くて、苛めようとする心を如何に消すかの問題。

ゆさま
 まさにそういう主旨のことを書いたつもりだったのですが、、、
 文章能力が足りなくてすいません。。。

キモい男:

あおのり様、
 どのようなお方かは存じ上げませんが、どうしてこれだけの文章が書けるのでしょうか。
 本当に書いておられるとおりで、論じるべきは現在の社会性ではないかと思います。

 にしても、この文章にしても、 「小学校からの英語教育なんて」にしても、「日本語の柔軟性万歳!」にしても、「今は中国のマナーを笑えるが、、、」にしても、下手な評論家も顔負けですね。(実は、本物の評論家ですか??)

 で、同じ人が、(「ぱんちょな恋の物語」に)「女子トイレを覗こうとしたこと」なんて書いておられるので、これがまたまた不思議なのです。
 本物の評論家なら、両方の文章は書けないような気もします。

あなたのような方がPJになればいいのに。

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