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911

 単なる日付なのに多くの人の記憶に残ってしまっている日付なんてそうはない。

 このエントリーのタイトルの「911」はもちろんそうだし、プロ野球ファンにとっては、「10.19」もその一つだろう。

 で、「911」だが、世界の人が知っている「911」に関しては、このブログの初期の頃に何回か書いている。
 今回の「911」は別の「911」だ。

 1992年の夏、社会人で臨んだバルセロナオリンピック・野球チームは、なんと台湾に2度も負けて銅メダルに終わっている。
 でも、そんなの関係ね~。
 バース・掛布・岡田の三連発から苦節7年、、、阪神が亀山・新庄で優勝争いをしていたのである。

 そんなある日、アフリカに駐在していた先輩から連絡が来た。
 「9月の頭に日本に一時帰国するので、どうしても甲子園で阪神の試合が見たい!」
 この先輩、出身は関西なのだが、社会人になってから30年近く東京で暮らしていて、阪神の白いユニフォームを恐ろしく長い期間見ていない。
 おまけに、アフリカに4年も行っていて、ここ数年は、阪神のユニフォームそのものを見ていない。
 「お安い御用で」と、このワタクシは、先輩のために甲子園のバックネット裏・「グリーンシート」を用意した。
 そして、その日が「911」のヤクルト戦であった。
 このカードは文字通りの首位攻防戦であり、3連戦で勝ち越せば間違いなく優勝に近づくという重要な試合となったのは単なる偶然でしかない。

 当日、さすがにこのワタクシは、練習から試合を見るということはできなかったが、先輩はこのワタクシから渡されたチケットを握って、昼過ぎには甲子園に向かって行った。
 このワタクシが球場に着いたときには、阪神が1回と2回に1点づつ、ヤクルトが3回に3点、さらに、阪神が3回に1点を入れて、3-3になっていた。

 先輩はというと、「新庄がええ振りしてたでぇ~」と練習を見ただけで、既にウルウル状態であった。
 とにかく、先輩の目的は「阪神の白いユニフォームを見る」ことであって、勝ち負けなんてどうでもよいという感じであった。
 とにかく、数十年ぶりの「阪神の白いユニフォーム」だけで、もう充分なのであった。
 あとは、一球毎の選手のユニフォームを食い入るように見ていただけであった。
 1985年に阪神が21年ぶりの優勝を決めたあとの甲子園の試合で、年配の方々が試合なんてそっちのけで、ただ目の前の選手を見ているだけでウルウルしていたのを横で見たことがあるが、先輩もそれと同じような状態であった。

 結果的に試合は一進一退を続けながら9回まで進んでしまったのだが、八木のサヨナラホームランがレフトスタンドに落ちた瞬間、スタンドは全員総立ちとなった。
 しかし、先輩だけは、椅子に座ったまま、ただ涙を流していたのであった。

 ところが、これが、いわゆる「八木の幻のホームラン」で、長時間の中断に入ることになる。
 八木の打球がフェンスのグラウンド側のラバー部分に当たって上方に跳ね返り、金網部分を越えて外野スタンドに入った、、、とかなんとか言って野村監督が抗議し始めたのである。
 今から思えば、サッサとヒーローインタビューでもやっておけばよかったのである。
 結果的に判定は覆り、単なる2塁打となってしまった。
 そのまま15回まで得点が入らず、史上最も長い6時間26分の試合が終わったのは、「912」の0時26分というトンでもないことになってしまったのである。(この判定がもとで、誤審で有名な平光さんが辞職している)
  怒り狂った阪神ファン(単にオレか?)が荒れ狂う中、先輩はジッと選手の去ったグラウンドを見つめていたのであった。

 甲子園球場の前からタクシーに乗った我々は、国道43号線を大阪方面に向かった。
 尼崎市内の赤信号でタクシーが止まったとき、ふと横を見ると大型バスが止まっていたのだが、なんとその最前列にヤクルトの野村監督が座っていた。
 タクシーの助手席に座っていたこのワタクシは、思わず窓を開けて「ボケっ~」と叫んだのだが、野村監督はニヤッと笑っているだけであった。
 すると、終始冷静だった先輩が突然窓を開けて、「ノムさん、ありがとう!」と言って手を振った。

 何に対する「ありがとう」なのかはいまだによく分からない。
 我らが阪神と、あれだけの壮絶な試合をしてくれたからなのかもしれない。

 毎年、「911」には、レフトスタンドに消えていった打球と、先輩の「ありがとう」を思い出すこのワタクシである。

 あれから16年。
 オリンピックを4回やっても日本野球チームは金メダルを取れず、ノムさんは阪神にやってきて去っていった。阪神は、あの幻とともに消えた優勝には11年も経ってから巡り合えた。おまけに、もう一回優勝している。

 1992年9月11日、あの日以来、あの先輩とは会っていない。
 ひょっとすると、引退して、毎日甲子園で「白いユニフォーム」を見ているのかもしれない。


(関連エントリー)
 「非日常的なこと
 「目には目を
 「ラーメン屋のアメリカ人
 「グリーンシート
 「横浜の提訴試合要求と八木の幻のホームラン





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コメント (6)

あおのり応援団:

なんだか人間味のあるいい話ですねぇ。

あおのり:

 今さら創作とも言い出せず。。。

えい:

実話と本気で信じておりましたが…。

miha:

ノム爺の抗議で延長になって、おかげでその分長く白いユニを見ていられたから「ありがとう」なんでしょ?

あおのり:

えいさま

 それは失礼いたしました。。。

あおのり:

mihaさま

 なるほど。。。
 ちゅうか、創作なのだが。。。

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