年末年始と宗教観
毎年年末年始には、多分この国でしかありえないような妙なことが起こる。
12月24日は、一般的にクリスマス・イブとして大層な盛り上がりを見せる。(肝心のクリスマス当日はあまり盛り上がっていないような気もするが)
なんと、それから僅か一週間しか経っていない12月31日は寺で鐘を撞くことになる。
そして、最大の驚きは、その数時間、いや数分後には、神社を参拝するのである。
まったくもって、イエスも仏陀も神もあったもんではない。
冒頭に、「多分この国でしかありえないような妙なことが起こる」と書いたが、自国の一般的な宗教以外の宗教行事を楽しむのは日本以外でもありえることではある。
しかし、日本では、国家全体がその宗教に傾くという点で、類稀な国であることは間違いない。
でも、どうしてこんなことが起こるのだろうか?
文化庁「宗教年鑑」によると、日本における各宗教の信者数は、神道系が1億600万人、仏教系が9600万人、キリスト教系が200万人、、、既に2億人を超えている。。。
「そんなこと言ったって、俺は無宗教だっ」という輩も、間違いなく七五三は行っているだろうし、「一生に一度も初詣に行ったことはない」という人もいないだろう。「お盆まつり」だってごく一般的だ。
こう考えると、日本人の宗教観というのは、「参加する」ことに意義があって、キリスト教を例えるならば「洗礼=宗教」という感覚はないと言える。
だから、「初詣」も「クリスマス」も一種のファッション感覚と言えるのかもしれない。
よって、結婚式は教会でやりながら、その夫婦とも葬式は仏式でやるなんてことが、何の不思議もなく行われているのである。
この状況が良いのか悪いのかは議論の余地はなく、「これが日本である」としか言いようがない。
今、世界は完全にグローバル化、ボーダレス化している。
世界のかなりの数の国において、宗教は、国家を形成する上での重要な位置付けを占めている。日本では、宗教系の政党が存在するというだけで様々な話題が出てくるが、宗教系の政党が存在することは、世界的に見ればいたって普通である。
また、宗教の違いによる国家レベルや国内レベルの諍いなんてものは、何千回説明を聞いても、「それでも、ここまで戦い合う必要はないだろう」としか思えない。
これもまた、宗教で戦うこともない日本が良いのか、宗教で戦争しまくっている外国が良いのかは判らない。特に、戦争しまくっている地域は2000年単位で戦争しまくっている地域もあるだけに、ある意味それがその国の日常である。
問題は、いくら日本人の宗教観が他の国と違うからといって、このボーダレスな時代に、まったく世界を見ずに自分達の宗教観を押し付ける状況は避けないといけない(と思う)。
クリスマスに搭乗した某日系航空会社は、機内で「メリークリスマス」を連発し、クリスマスの飾りが機内の壁に貼り付けてあった。空港には、サンタクロースの格好をした職員までいる。そんな会社の飛行機が、(例えば)仏教国のバンコクに飛んでいるわけである。
今、日本国は、「2010年までに1,000万人の訪日外国人誘致」を実現するための「ビジット・ジャパン・キャンペーン」活動を行っている。
その日本に行くために搭乗する飛行機がキリスト教一色では、日本に興味を持っているアラブ人も来たくなくなるだろう。
日本人のように、全ての宗教の神(もしくは神のようなもの)を神と考えるような宗教観は、ある意味平等で素晴らしいことである。
とはいえ、それがそのまま世界に通用するわけではない。
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